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35話 決められた選択

last update Last Updated: 2025-06-30 08:05:00

35話 決められた選択

諦めたくない気持ちが膨れ上がっていく。親父の言う事を聞いた方が、二人の為なのかもしれない。それでも諦めきれない伊月がいた。この願いが届くようにと祈りながら、待ち続ける事しか出来ない。自分の生きてきた証を全て取られてしまった今の彼には、薫を守る力は持ち合わせていなかった。奪われ、搾取されていく現実から逃げる事は出来ない。悔しさを抱えながら、顔を見られないように俯くと、低い足音が聞こえてきた。

「やっと来たようだな。お前も覚悟をするんだ伊月」

今までのツケが押し寄せてくる。選択肢を選ぶ事も、見つける事も出来ない自分を無力だと思うしかなかった。親父の元で足音は止まると、視線を感じる。自分のこれからを考えると、どうしても直視出来なかった。

「現実を見なくてはいけない。君は俺に負けたんだ」

影は人間の声を捨て、機械音声で語り出した。耳障りな音を拒絶するように顔を顰めると、止まっていたはずの足音がこちらへと向けられた。

コツコツと音が大きくなっていく度に、伊月の心臓も加速していく。黒い影の住人は彼が落胆しているのをじっと見つめている。

何も見たくないと隠している顔を、影はゆっくりと自分の顔を見せつけるように、あげていく。そこには見覚えのある表情が広がっていく。驚きに声を出せない伊月は、呼吸が止まりそうだった。

「君は俺の気持ちを理解出来ていない。だからこそ自由でいて輝いている。それでも俺はもう一度、本当の意味で君を手に入れたいんだ」

瞳の奥川に伊月の茫然とした顔が映り込んでいく。ポツリポツリと自分の気持ちを正直に述べていく彼の姿を、初めて見たのだろう。

「傍にいたのに、君はとても遠い」

憂を帯びた瞳からは、悲しみが隠れている。感情が瞳から放たれると、伊月の心を抉っていく。自分の思う通りに生きてきた事が、自由になりたい欲望が、こんなにも人を傷つけ、人生を変えてしまった現実を直視してしまう。
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